建造された水先案内兼曳航船が砕氷型の船首を備えていたために蒸気機関で航行する世界初の砕氷船といわれている。その後、実際に使用できる砕氷船として建造された船は、1871年、ドイツのハンブルクで造られた「アイスブレイカー1/アイスブレッヒャー1」(Eisbrecher I、船長40.5m、592PS)である。
氷海を航行する船舶は、初期の極地探検の頃から考えられるようになった。初期の極地探検においては、耐氷船が用いられた。これは木造船舶において、水線部などを金属で覆い、強化するものであった。このような船殻の強化により、氷との衝突や結氷による船の圧壊を防ぐことが試みられた。
また、北極圏の氷海を船で渡ることが出来れば欧州と北米や欧州と極東アジアの間での交易による経済的な利益が見込めるため、古くから検討されていた。実際に欧州からシベリア北部経由でベーリング海までの北東航路(Northeast passage)を船で通過できたのは、「ヴェガ号」(Vega)で1878年?1879年の2年間かけてスェーデンのアドルフ・エリク・ノルデンショルド(Nordenskiold)が達成した。 欧州からカナダ北部を経由して極東アジアに抜ける北西航路(Northwest passage)を最初に船で通過したのは、1903年?1906年にノルウェーのロアール・アムンセン(Amndsen)がヨーア(Gjoa)号で達成した。
1977年には当時ソビエト連邦の原子力砕氷船「アークティカ」(Arktika)号が水上船として始めて北極海横断と北極点通過を成し遂げた。
ロシアは「イェルマーク」(Ermak、船長98m、12,000PS)をはじめ、1900年頃から外航用の大型砕氷船を多数建造し就航させた。Ermak は船首にプロペラ1つ、船尾に3つを備えていた。 1932年にはアルハンゲリスク(Arkhangel'sk)からウラジオストック(Vladivostok)までの商業水路を開発した。
1937年?1940年は軍事活動として砕氷船の建造が行なわれ、キーロフ級(Kirov class、船長100m、10,400PS)が造られた。1957年には44,000PSの原子力砕氷船「レーニン」(Lenin)が建造された。
75,000PSの「アークティカ級」(Arktika class,約23,000t)の6隻の原子力砕氷船「アークティカ(Arktika)」「シビル(Sibir)」「ロシア(Rossiya)」「ソビエツキー・ソユーズ(Sovjetskij Sojuz)」「ヤマル(Yamal)」「戦勝50周年記念号(50 Let Pobedy)」を就航させている。
日本においては、海上保安庁に2隻、海上自衛隊に1隻、民間会社の流氷観光船に計3隻配備されている。海上保安庁に配備されている砕氷船は、春先のオホーツク海の流氷により閉ざされた氷海域の航路啓開と、平時の警備救難活動を任務としており、航路啓開のエースとして活躍する「PLH そうや」と、「そうや」が入れない浅い海域と港湾内の航路啓開を任務とする「PM てしお」の計2隻である。海上自衛隊に配備されている砕氷船は、南極観測隊の輸送に使われる砕氷艦「しらせ」である。同艦はましゅう型補給艦が竣工するまでは海自最大の自衛艦だった。
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大日本帝国海軍の砕氷船
大泊:1949年解体
鉄道省(稚泊連絡船)の砕氷船
亜庭丸:1945年、米軍の攻撃を受けて沈没
宗谷丸:1965年解体
海上保安庁の砕氷船
砕氷船 宗谷(旧南極観測船、退役。船の科学館にて保存展示)
PLH01「そうや」(第一管区釧路海上保安部)
砕氷能力:連続砕氷1.0m/3ノット
建造:1978年
総トン数:3,139t
全長:98.6m
全幅:15.6m
出力:15,600馬力
速力:21ノット
航続距離:5,700海里
武器:40mm単装機関砲×1、20mm単装機関砲×1
搭載ヘリ:ベル212×1
最大乗員:69名
PM15「てしお」(第一管区羅臼海上保安署)
砕氷能力:連続砕氷0.5m/3ノット、最大0.75m
建造:1995年
総トン数:563t
全長:54.8m
全幅:10.2m
出力:3,600馬力
速力:14.5ノット
武器:20mm機関砲×1
最大乗員:35名